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人馬休息の図

馬口労町

水戸藩

アンカー 1

​町内会

南馬口労町

​公式ホームページ
Official website
馬口労(ろう)/江戸時代初期から昭和40年代まで水戸市に存在した町名で、現在の水戸市末広町の一部にあたります。​今でも、町内会の名称として使われています。

 ところで、​
〝馬口労
てなに?

​Ver.1.5
町名の由来
江戸時代、ここは水戸城下の西の入り口に位置し、近郷から来た人々が荷馬や自身を休める町でした。問屋、商店、旅館、運送業で賑わい、馬の市も開かれました。そのため、(くろ馬の売買・仲買人)(うまか馬で貨客運搬をする人  )く住んでいて、馬口労町名になったと言われています(諸説あり)
(馬口労)
くら(伯楽)の音が変化したもの日本各地に同様の町名があります。日本馬喰(ろうちょ)馬口労町(秋田市米沢市、水戸市)博労町(くろうまち会津若松市、金沢市、姫路市)、白楽町(ばくろちょう 倉敷市)など。
​      
伯楽(く)

中国 春秋時代(BC770年〜453年)の人物。相馬眼(そうばがん馬の資質を見抜く力)に優れ、調教や獣医の技量もあったので、天馬の守護星(神)の「伯楽と字(あざな/別名)で呼ばれました。これが転じて次の意味で使われるようになりました。​

. 馬の良否をよく見分ける人。また、牛馬の病気を治す人。
2. 人の資質を見極め、能力を引き出し育てることに優れた人。

(南馬口労町 町内会 会長 根本 )

相馬そうば/馬の観相(馬の相を見る) 馬の姿形を観察して、そのよしあしを見抜くこと。
●参考文献『馬口労町物語(発行/水戸市新荘公民館 2001年 編集『馬口労町物語編集委員会)、Wikipedia(ウィキペデア)、その他のウェブサ
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​昔の地図

馬口労町鳥瞰図.png
昭和初期(戦前)の水戸馬口労付近
学校や寺社の市街面積に占める割合が多い
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昭和30年頃の谷中駅
​つづく

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